小学生の時から付き合ってる友人と電話したらこんな時間に。
私のやることに待った!をかけてきたもんだからこっちも「何もしらねーくせにしった口きくんじゃねぇ!」と腹立って時折声を荒げながらお互い語る語る。
ふーと落ち着いて語る語る。
さて、久しぶりの哲学専攻発揮です。燃え上がれ俺のコスモ。
視野が狭い、と言われ知ってるよそんなことと返す。
私は弟子になるという目標がある訳で、そのためにまっしぐら。他の人の弟子になるのはだめなのかと言われたら、ダメなのです。
色々電話で分析した結果
自分の哲学は不完全→似た哲学をもったとこに弟子入り→推敲→もっと崇高な哲学→完全なるもの
というルートがわかった。だから私にとって弟子入りは私の哲学を完成させるための手段なのだと。
それをすっかりこんと忘れていた。
目的のためにがむしゃらになればなるほど目的が見えなくなって手段が目的にすりかわる。なんて愛憎模様。
しかしここで問題発生。
完全なる哲学に辿りついてなにになるのか。
考えた結果、わからねぇよ。
だから時折私はこれでいいのか迷う。
でも逆になぜ完全なる哲学を目指すのかわからせるために私はこのルートを行くのかもしれない。
多分完全なるものを目指して私は全てをやってるのだとおもう。
写真に関してもそうだ。
きっと私は色々な世界を見て、そこから完全なるもののカケラを拾いあげて、何とか完全なるものに行き着こうとしていると思う。
私にとって世界は創るものではなく、そこに端からあって写真を通して少しだけ覗くもの。
ポウリの撮影中の不思議な出来事も全てこれのためだったのかと再認識。
ポウリ撮影中ファインダーを覗いていると、目がファインダーから放せなくなった。
ファインダーの中というのは世界を長方形の小さな箱に切り取るわけだが、その時はむしろファインダーの中から外へ世界が飛び出すような360度見渡しているような感覚だった。
その感覚を認識した瞬間私から外部の世界はなくなり、音も聞こえなくなった。聞こえないというよりかは聞こえているけど認識していない状態?
ファインダーの中だけが私が居る世界であり、そこには緋憐ちゃんという人物ではなくポウリがただひたすら旅人を待っていた。
この瞬間、失礼な話で申し訳ないが緋憐ちゃんはいなくなった。
ポウリの世界がそこにあって私はそこに許されて入ったわけだ。
私達が世界を作っているなどただの驕りで、本当は世界は最初からそこにあって、私はそこに一歩足を踏み入れただけ。
magnetでも、キャラでも人物でもないその世界があり、写真で覗いただけ。
完全なるものの世界のために。
私はあらゆる力をもって個の世界を覗かなければならないんだろうな。
一番最初のゼミであなたにとって人生は何ですか?って聞かれて暇つぶし!って答えたことを思い出した。
私がやることはまだこの先は何も決まってない。=暇。
予定を入れて暇つぶししようぜ!何だってできるぜ!って話。
電話してもう一度原点に立ち返れたな。
なんのこっちゃって話だな。
結局はプラトンって話だ。
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