かの有名な詩人、ポキールの言葉です。(笑)
ちょっと写真について哲学的な話をちまちま。職業病だから仕方がない。
多分読んでる途中で飽きると思う。
でもこの言葉は本当にそうだと思う。私達は世界を私というフィルターを通して見ている。だから「ただそこにある風景」にいかに気づけるかで世界は変わる。
世界は人の分だけあるし、決して世界そのものを見ることはできない。ちょうど自分の顔は鏡を通してでしか見れないように。
誰のフィルターをも通さない純粋な世界をある人は神と言ったり、ある人は超越的存在と言ったり、ある人はイデアと言うんでしょうね。
さて話は芸術へ。
芸術ってのは模写なんです。=ではないですけど芸術⊃模写みたいな。
写真っつったら模写の最高の形じゃないですか。模写するなかで私たちは対象の本質を見ようとするんです。
けれど独創性とか求められる芸術ってなんでしょう。
先に述べたように私達はものの本質は見れないと思う。(理性によって見れるとかは考えません)
でも見ようとする。見たい。ものにしたい。
その人間の本性(今ほんせいと読んだ方、いらっしゃいませフィロソフィ)を叶えるために芸術があるのではないかと。
足掻いても足掻いても届かない本質に手を伸ばすために。
だから芸術の目的は独創性なんかではなく、ある方の言葉を借りれば「在るものをただ在るままに」なんですよね。
私は写真を撮る時に「一瞬の永遠」を骨にしています。
一見矛盾してますがその点からしたら時は永遠を得ることができるんです。
その一瞬の美しさを
その人の美しさを
その空間の美しさを
撮れたらいいなって思ってます。
私が見る世界を通して、自分の世界にはない世界に気づいていただけたならいいなって。
あと詩人であり賢人であるポキールに続き賢者トートの言葉についてですが、私達は全てを識って(一応哲学なのでこう書きます)生まれてきます。ただみんな忘れてしまうだけで。それを思い出させてくれるのは湖なんですって。
つまり写すこと。
だからやはり写真が、芸術が私達が忘れた知を思い出させてくれるのでしょう。
なーんて書いたけど自分の卒論白紙!
イデア?なにそれ。プラトニックラブ?ドラマのタイトル?
PR